大学進学するまで東灘区で小学・中学・高校と12年間学びましたが、小学校に進むまでの幼少期は大病こそしなかったものの、あまり丈夫ではなく、毎月のように小児科通いをする日々でした。扁桃腺摘出をしてからは少しましにはなったものの、依然として小児科をはじめ色々な科にお世話になる子供でした。漠然と大きくなったらお医者さんになりたいと思うようになり、小学校卒業文集を見返すと医学・薬学などの道に進みたいということを書いていました。
大阪大学医学部に進学後は勉学の傍ら、医学部の軟式テニス部に所属していました。少人数かつ弱小のクラブでしたが、仲間や先輩・後輩と試合や合宿などに行ったのは学生時代の良い思い出です。大学卒業までは神戸から通学しており、阪神淡路大震災は自宅にいて被災しました。四半世紀が過ぎて道も街も整備され、長崎屋もビエラ御影に生まれ変わりましたが、六甲山が断層活動により形成されたことを考えると今後も神戸で地震が起こる可能性はありうるわけで、震災の記憶は子供たちに語り継いでいかねばならないと思います。
話はそれましたが、医師になる段階で専門分野を決めなければなりません。スポーツ外科に興味をもった時期もあり整形外科など手術で治す外科系の診療科にあこがれた時期もありましたが、患者さまの健康を管理するといった観点からもともと内科を志しており内科系に進むことにしました。当時は臓器別、例えば消化器内科、呼吸器内科といったふうに内科の中での細分化されていた時代ではなく、第1内科、第2内科、第3内科、第4内科といった講座別となっており、それぞれ特徴がありました。その中でいろいろな分野があり、研修後に臓器別のグループを選ぶことができるなどの点から第2内科に入局させていただきました。
大学病院や住友病院で研修する中で、循環器内科・糖尿病の診療・腎臓内科にも興味をもちましたが、内視鏡を用いた検査手技や治療にやりがいを感じて、胃腸を中心とした消化器内科の分野を志望しました。
2022.07.18