研修が終わると大学院に進学しました。大学院では消化管間質腫瘍という腫瘍に関する研究・仕事をさせていただきました。聞きなれない病名と思いますが、GIST(gastrointestinal stromal tumor)という腫瘍で、俳優の萩原健一さんが亡くなれたの原因がこの病気でした。大学院に入る少し前にこの病気の正体が分かったところという段階で、発見した病理学の廣田誠一先生や医局の先輩の礒崎耕次先生にご指導を受けました。病気の原因がわかり、治療法が確立していく過程を一流の先生のもとで学ぶ貴重な体験をさせていただきました。
学位を取得したあとは一般病院に戻り、研修先でもあった住友病院で勤務しました。500床弱の基幹病院ですが、消化器内科全般に加えて、夜間救急など一般内科の仕事も行っていました。消化管の早期がんは内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)という手技で治療されるのが一般化されましたが、当時はその黎明期であり、経験のある先生に指導に来ていただき住友病院でのESDの立ち上げを行いました。
その後は人事異動で同じ大阪市内の大手前病院に異動しました。ここでも内視鏡や内科にかかわる様々な仕事を行いながら、ピロリ菌除菌の感受性試験(薬が効きにくいピロリ菌に対して効きやすい薬を選択して治療をするための試験)や大腸CT検査に関する臨床研究などもしていました。ただし、卒後年数が増えると現場の仕事からだんだん管理的な仕事が増えてきます。病院の勤務医としての仕事もやりがいがありますが、子供のころにあこがれた、お医者さんとしての仕事に重きをおいてこれからも仕事がしたいなと思うようになりました。